「パリって、香水とおしゃれの街だよね」って思ってない?でもつい150年くらい前まで、パリの街はぼくでいっぱいだったんだ。窓から投げ捨てられて、石畳の上を流れてた。今日はそんなパリのうんち事情の話をするね。
この格言の出典・元の意味
中世から19世紀のパリでは、家にトイレがある人はほとんどいなかった。みんな「おまる(pot de chambre)」を使って、朝になると窓から街路に投げ捨てるのが普通だったんだ。投げる前に、住民は窓から大きな声でこう叫んだ。
「Gardez l’eau !(ガルデ・ロー!)」
「水に気をつけて!」って意味。でも実際に降ってくるのは水だけじゃなくて、夜の間にたまったぼくも一緒。これが英語の「loo(トイレ)」の語源になったって説まであるんだよ。
街路はぐちゃぐちゃ。だから貴族の女性たちはハイヒールを履いて、靴底を高くして街路の汚れを避けた。男性は長いマントを地面に引きずらないように腕にかけた。香水文化が発達したのもこの時代。匂いを消すんじゃなくて、強い香りで上書きするしかなかったんだよ。ハイヒールも香水もマントも、起源にはぼくがいるんだ。
王宮も同じだった
「貴族の住む宮殿は違うでしょ?」って思うよね。ところが、ベルサイユ宮殿(17〜18世紀)でも事情はあまり変わらなかった。1万人近くの人が出入りしてたのに、公衆便所はほんの数か所しかなかったんだ。
足りないから、貴族たちは廊下の隅・階段の裏・庭園の植え込みで済ませてた。記録には「朝の廊下はぼくでいっぱいで、靴をどこに置けばいいか分からなかった」って残ってる。豪華なドレスの中におまるを隠して持ち歩く貴族もいた。金の食器でご飯を食べた直後に、植え込みの裏でしゃがむ。それが王様の暮らしだったんだ。
大改造で街が生まれ変わった
19世紀の半ばまで、パリはぼくの匂いに包まれた街だった。セーヌ川は事実上の巨大下水。1832年と1854年のコレラ大流行で何万人も亡くなって、ようやく「これはまずい」ってなったんだ。
そこで動いたのがオスマン男爵。ナポレオン3世の命令で、1853年から始まった「パリ大改造」。狭くて曲がった中世の街路を取り壊して、広い大通り(ブールヴァール)を作って、その下に全長600kmの巨大下水道網を整備した。さらに1894年には「全戸下水接続義務(tout-à-l’égout)」が法律で決まって、ようやくパリは「ぼくが街を流れる街」を脱出したんだ。
つまり今のパリの「おしゃれな街」のイメージは、せいぜい150年くらいの歴史しかない。それ以前は、ぼくと一緒に暮らす街だったんだよ。
うんちくん的に読み解くと
ぼくの目線で言うとね、香水もハイヒールも、ぼくが生んだ文化って言えちゃう。匂いを消したい、汚れを避けたい、その必死さが世界一おしゃれな街を作った。歴史って、こういうところで急に親近感が湧くんだよね。
ぼくは古代ローマの公衆便所(cat5-roman-public-toilets)、江戸時代の肥料リサイクル(cat5-edo-shimogoe)、中世ヨーロッパのガーデローブ(cat5-medieval-garderobe)、そしてパリの街路の上。どの時代にも、人類のすぐそばにいた。形が違うだけで、関係はずっと続いてるんだ。
おもしろいのは、水洗トイレが当たり前になったのは20世紀の後半ってこと。それまで人類のほとんどは、ぼくを「投げ捨てるか、貯めて運ぶか、リサイクルするか」のどれかでやり過ごしてた。今、君がボタン1つで流せるのは、人類史のほんの最近の贅沢なんだ。
今日からできる1つのこと
明日トイレに入ったら、1秒だけ「ありがとう」を言ってみて。
冗談じゃなくて、これが意外とぼくとの関係を変えるんだ。当たり前を見直す視点って、腸活にもつながってる。普段ぼくを「邪魔者」「臭いもの」として扱うか、「健康のサイン」「毎日の相棒」として扱うか。気持ちひとつで、ぼくの観察も丁寧になる。
パリの人たちは、香水で匂いをごまかすしかなかった。でも今の君はぼくをちゃんと見て記録できる時代に生きてる。流す前にちょっとだけ形・色・量をチェックする習慣をつけると、食事や生活の変化に気づきやすくなるよ。ごまかすんじゃなくて、向き合える時代なんだ。
うんちくんアプリで毎日のぼくを記録すると、流れが見えてくる。150年前のパリ市民より、ぼくをずっと丁寧に扱える時代に生きてる。それを贅沢に使ってあげてほしいな。
まとめ
ぼくはね、人類とずっと一緒に旅をしてきた相棒。パリの王様も、現代の君も、ぼくとは毎日付き合ってる。香水もハイヒールも、ぼくが間接的に生んだ文化。明日の朝トイレに入ったら、1秒だけぼくと水洗トイレに感謝してみて。それだけで、ぼくと君の関係はちょっと深くなるよ。