「2000年前ねんまえのローマでは、トイレってどうなってたんだろう?」って想像そうぞうしたことある?実はじつはね、ぼくのご先祖せんぞたちは、20〜80ひと並んならん大理石だいりせきのベンチから一緒にいっしょに送り出さおくりだされて、巨大きょだい下水道げすいどうたびしてテベレかわまで流れながれてたんだよ。今日はきょうは古代こだいローマのトイレ事情じじょうと、そこから見えみえてくる「衛生えいせい進歩しんぽ」のはなし伝えつたえるね。

この格言かくげん出典しゅってん元のもとの意味いみ

古代こだいローマ帝国ていこく都市としには、フォリカ(forica)って呼ばよばれる公衆便所こうしゅうべんじょがあちこちにあった。4世紀せいきのローマには144箇所かしょ以上いじょうあったって記録きろく残っのこってる。大きいおおきいものは大理石だいりせきせいで、20〜80ひと同時にどうじに座れすわれ豪華ごうかさ。となりとの仕切りしきり無いないよ。プライバシーって概念がいねん当時とうじ、トイレには存在そんざいしなかったんだ。

構造こうぞうはシンプル。長いながい大理石だいりせきのベンチに丸いまるいあな等間隔とうかんかく並べならべただけ足元あしもとには小さちいさ水路すいろ(カナル)が常につねに流れながれてて、ぼくはあなから落ちるおちるとそのままみず運ばはこばれていく。さらにその水路すいろ下水道げすいどうとつながってて、最終的さいしゅうてきクロアカ・マキシマ(Cloaca Maxima)という巨大きょだい下水道げすいどう合流ごうりゅうする。

クロアカ・マキシマは紀元前きげんぜん6世紀せいき(つまり2600年以上ねんいじょうまえ)に作らつくられて、いま一部いちぶ現役げんえき使わつかわれてる。全長ぜんちょうはおよそ800メートル、最大さいだいはば3メートル・高さたかさ4メートルという地下ちかトンネル。ローマ市内しないのあらゆる排水はいすい集めあつめて、テベレかわにぶちまける仕組みしくみだったんだ。古代こだいローマの土木どぼく技術ぎじゅつ本当ほんとうにすごい。

古代ローマの公衆便所フォリカの断面図。長い大理石のベンチに丸い穴が並び、足元に水路が流れる構造を示している
フォリカの構造こうぞう。ベンチのあなから落ちおちたぼくは、足元あしもと水路すいろでクロアカへ運ばはこばれていった。

そして問題もんだいはここから。おしり拭くふくのに使わつかわれてたのがテルソリウム(tersorium)ぼう先にさきに海綿かいめんスポンジを付けつけたもの。これを塩水しおみず酢水すみず入っいっっおけ軽くかるくすすいで、次のつぎのひと渡すわたす共有きょうゆうなんだ。いま感覚かんかくだと正気しょうき沙汰さたじゃないけど、当時とうじはそれが当たり前あたりまえ。「got the wrong end of the stick(ぼう悪いわるい方をほうを持っもっちゃった)」って英語表現えいごひょうげん語源ごげんは、このスポンジぼう使い方つかいかた間違えまちがえた、ってせつもあるくらいなんだ。

共有スポンジ棒テルソリウムの使い方を3ステップで示すイラスト。1. 酢水で洗う、2. 次の人に渡す、3. 衛生リスクの注意マーク
テルソリウムの使いつかい回しまわし塩水しおみずor酢水すみずで「消毒しょうどく」したつもりでも、感染症かんせんしょう当然とうぜん広がひろがってた。

うんちくん的にてきに読みよみ解くとく

ぼくの目線めせん言ういうと、ローマのトイレって「ぼくの社交しゃこうデビュー会場かいじょう」みたいな場所ばしょなんだ。となりのローマひと足音あしおと向かいむかいがわひとせき払いはらい誰かだれか陽気ようき歌声うたごえ、すべてが響きひびき合うあうベンチホール。ぼくはあな抜けぬけ水路すいろ乗りのりとなりいえのぼくと一緒にいっしょに流れながれて、クロアカ・マキシマで合流ごうりゅうしてテベレかわへ。完全かんぜん共有きょうゆう体験たいけんだった。

衛生えいせいめんはね、正直しょうじき悲惨ひさんだった。共有きょうゆうスポンジでちょう感染症かんせんしょう広がひろがるし、よる臭気しゅうき溜またまる。それでも当時とうじは「ぼくがいえ中になかに溜またまらない」だけで革命的かくめいてき進歩しんぽだった。中世ちゅうせいヨーロッパに時代じだい下るくだるこの技術ぎじゅつ一度いちどほぼ消えきえ歴史れきしって一直線いっちょくせん進歩しんぽするわけじゃないんだなぁ、ってぼくはしみじみ思うおもう

クロアカ・マキシマの断面図。地上にローマ建築物のシルエット、地下に巨大下水道トンネル、テベレ川への排水を示す
クロアカ・マキシマ。紀元前きげんぜん6世紀せいき巨大きょだい下水道げすいどうで、ぼくはテベレかわまで地下ちかたびしてた。

クロアカ・マキシマはいまでもローマの地下ちか走っはしってて、現役げんえき部分ぶぶんすらある。2600年前ねんまえのうんち専用せんようトンネルが、まだ生きいきてるんだ。江戸えど下肥かひが「はたけへの栄養えいよう」を選んえらんだのに対したいして、ローマは「かわへの排水はいすい」を選んえらんだ。アプローチは正反対せいはんたいだけど、どっちもぼくを社会しゃかいシステムの中になかに位置いちづけたてんでは共通きょうつうしてる。

今日きょうからできる1つのこと

今日きょうトイレに行ったいったら、みず流すながす瞬間しゅんかんに「ありがとう」って一瞬いっしゅんだけ思っておもってみる。これだけ。

古代こだいローマでは赤のあかの他人たにん並んならん共有きょうゆうスポンジで拭かふかれた。中世ちゅうせいヨーロッパではまどから路上ろじょうへ。江戸えどでは肥桶こえおけ集めあつめられてはたけへ。現代げんだいみたいに、レバー1つでぼくが消えきえ仕組みしくみ当たり前あたりまえになったのは、ほんの150年前ねんまえからなんだ。

うんちくんアプリで毎日まいにちのぼくを記録きろくするのも、古代こだいローマひともやってなかった文化的ぶんかてき進歩しんぽ。データで自分じぶんからだ見るみるって、現代げんだいならではのちょうかつなんだよ。

まとめ

2000年前ねんまえのローマでぼくは、20ひと並んならんだベンチで生まれうまれて、共有きょうゆうスポンジで拭かふかれて、巨大きょだい下水道げすいどうたびして、かわ放たほうったれてた。それでも当時とうじとしては最先端さいせんたん衛生えいせいシステムだったんだ。いまくん当たり前あたりまえ使ってつかって現代げんだいのトイレは、2600ねん進歩しんぽ最終さいしゅう形態けいたい今日きょうのトイレで一瞬いっしゅんだけ、その奇跡きせき感じかんじてみない?